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仙台高等裁判所 昭和42年(ネ)14号 判決 1977年2月24日

控訴人 板橋軍寿 外一八名

被控訴人 鈎取開拓農業協同組合 外二名

補助参加人 国

主文

控訴人らの本件控訴をいずれも棄却する。

被控訴人らの請求の趣旨の変更にもとづき、原判決を次のとおり変更する。

控訴人板橋軍寿、同大友はるの、同相原芳夫、同板橋半治郎、同細谷岩蔵、同加藤喜之助は、各自被控訴人大友春雄に対し別紙第一目録記載の土地について、同鈎取開拓農業協同組合に対し別紙第二目録記載の土地について、同高橋利蔵に対し別紙第三目録記載の土地について、同控訴人らが昭和二七年六月四日付相続により各自持分二一分の二を取得した旨の所有権移転登記(仙台法務局昭和三一年一二月二四日受付第四一二二号)の抹消登記手続をせよ。

控訴人(うめこと板橋うの訴訟承継人)大友はるの、同(同)相原芳夫、同(同)板橋半治郎、同(同)細谷岩蔵、同(同)加藤喜之助、同(同)板橋佳子、同(同)渡辺和子、同(同)板橋みつ子、同(同)高橋よね子は、被控訴人大友春雄に対し別紙第一目録記載の土地について、同釣取開拓農業協同組合に対し別紙第二目録記載の土地について、同高橋利蔵に対し別紙第三目録記載の土地について、うめこと板橋うのが昭和二七年六月四日付相続により持分二一分の七を取得した旨の所有権移転登記(仙台法務局昭和三一年一二月二四日受付第四一二二号)の抹消登記手続をせよ。

控訴人板橋とみゑ、同板橋佳子、同渡辺和子、同板橋みつ子、同高橋よね子は、被控訴人大友春雄に対し別紙第一目録記載の土地について、同鈎取開拓農業協同組合に対し別紙第二目録記載の土地について、同高橋利蔵に対し別紙第三目録記載の土地について、板橋八十二が昭和二七年六月四日付相続により持分二一分の二を取得した旨の所有権移転登記(仙台法務局昭和三一年一二月二四日受付第四一二二号)の抹消登記手続をせよ。

控訴人関伝治、同遠藤教彦、同板橋軍次郎は、各自、被控訴人大友春雄に対し別紙第一目録記載の土地について、同鈎取開拓農業協同組合に対し別紙第二目録記載の土地について、同高橋利蔵に対し別紙第三目録記載の土地について、板橋うの、控訴人軍寿、同はるの、同芳夫、同半治郎、同岩蔵、同喜之助の各持分を昭和三一年一二月二八日付売買により控訴人伝治が持分一二六分の一九、同教彦、同軍次郎が各持分一二六分の三八を取得した旨の持分移転登記(仙台法務局同日受付第四二八九号)の抹消登記手続をせよ。

控訴人(吉井久太郎訴訟承継人)吉井ハルヱ、同(同)大坂智子、同(同)吉井顕久、同(同)棟方智恵子、同(同)吉井久嗣は、被控訴人大友春雄に対し別紙第一目録記載の土地について、同鈎取開拓農業協同組合に対し別紙第二目録記載の土地について、同高橋利蔵に対し別紙第三目録記載の土地について、板橋うの、控訴人軍寿、同はるの、同芳夫、同半治郎、同岩蔵、同喜之助の各持分を、昭和三一年一二月二八日付売買により吉井久太郎が持分一二六分の一九を取得した旨の持分移転登記(仙台法務局同日受付第四二八九号)の抹消登記手続をせよ。

控訴人板橋軍次郎は、被控訴人大友春雄に対し別紙第一目録記載の土地について、同鈎取開拓農業協同組合に対し別紙第二目録記載の土地について、同高橋利蔵に対し別紙第三目録記載の土地について、同控訴人が板橋八十二の持分二一分の二を昭和三二年一月二四日付売買により取得した旨の持分移転登記(仙台法務局同月二五日受付第二一一号)の抹消登記手続をせよ。

訴訟の総費用は、控訴人らの負担とする。

事実

控訴人らは「原判決を取り消す。被控訴人らが当審において変更した請求を棄却する。訴訟の総費用は、被控訴人らの負担とする」との判決を求め、被控訴人らは、控訴棄却の判決を求めたほか、当審において請求の趣旨を変更し、主文第三項ないし第八項同旨の判決を求めた。

当事者の事実上の主張および証拠関係は、左記に付加するほか、原判決の事実摘示欄の記載と同一であるから、これをここに引用する(ただし、原判決四枚目裏八行目および一一行目、一〇枚目裏二行目にそれぞれ「小島浅吉」とある部分は「小島浅治」と、同五枚目表七行目、裏五行目、九行目、六枚目表九行目、一〇枚目裏六行目に「伝次」とある部分は「伝治」と訂正し、同五枚目表四行目「十二月二十四日」の下に「仙台法務局受付第四一二二号をもつて、昭和二七年六月四日」と、同五枚目表九行目「同日」の下に「同法務局受付第四二八九号により」と、同五枚目表一一行目「二十五日」の下に「同法務局受付第二一一号をもつて」と、それぞれ挿入する)。

(被控訴人の主張)

一、宮城県知事は、もと板橋百之助所有の仙台市長町字西の平二番の一山林四町四反九畝二七歩(実測面積四町六畝二〇歩。以下旧二番の一の土地と略称する)を、昭和二二年三月一〇日百之助の立会のうえ実測し、実測面積を右のように確定したうえ、被控訴人らに未墾地売渡予定地として引渡し、被控訴人らは、ただちに開墾に着手し、被控訴人鈎取開拓農業協同組合(以下被控訴人組合という)は、売渡予定地を採草地として、被控訴人大友、同高橋は売渡予定地を開墾して畑地として、利用してきた。そして宮城県知事は、同県農地委員会が自作農創設特別措置法第三〇条により樹立した未墾地買収計画にもとづいて買収の時期を同年七月二日と定めて、翌昭和二三年一月三〇日付買収令書を発行し、これを翌三一日百之助に交付し、なお、昭和二五年一一月二八日、同人に未懇地買収の対価を支払つた。さらに、同農地委員会は、昭和二四年六月頃、旧二番の一の土地に周辺の土地を加えて実測のうえ、新地番を設定して売渡計画を樹立し、(一)新地番仙台市長町字西の平六番の一山林一町八畝三歩(そのうち一町六畝三歩が旧二番の一の土地の一部である。以下六番の一の土地という)、同六番の二山林四反五畝歩(そのうち四反歩が旧二番の一の土地の一部である。以下六番の二の土地という)を被控訴人大友に、(二)新地番同字八番山林六畝歩(そのうち五畝歩が旧二番の一の土地の一部である。以下八番の土地という)を被控訴人組合に、(三)新地番同字一〇番の一山林九反四畝一五歩(そのうち七反四畝一五歩が旧二番の一の土地の一部である。以下一〇番の一の土地という)、同字一〇番の二山林四反五畝歩(そのうち一反八畝歩が旧二番の一の土地の一部である。以下一〇番の二の土地という)を被控訴人高橋に、それぞれ売渡すこととし、未墾地売渡計画にもとづいて同年一二月一日付で被控訴人らに売渡通知書を発送した。

なお宮城県知事は、昭和三三年七月七日、さきの売渡通知書に新地番の大字の表示が富沢となされていたので大字名を「長町」と訂正した売渡通知書を再発行して被控訴人らに交付し、表示を更正した。

二、ところが、宮城県知事が旧二番の一の土地の買収ならびに売渡処分による所有権取得、新地番設定および売渡の相手方に対する所有権移転登記手続を準備しているうち、百之助が昭和二七年六月四日死亡したことにより、その妻うめこと板橋うの、その子控訴人板橋軍寿、同大友はるの、百之助の子亡みよしの子、同相原芳夫、百之助の子同板橋半治郎、同細谷岩蔵、同加藤喜之助および板橋八十二がうのが持分二分の七、その余の者二一分の二の割合で相続したとして、原判決の請求原因第三項記載のように所有権移転登記を経由し、その後うの、控訴人軍寿、同はるの、同芳夫、同半治郎、同岩蔵および同喜之助から、控訴人関伝治、同遠藤教彦、同板橋軍次郎および吉井久太郎に持分が譲渡され、さらに八十二からも控訴人軍次郎に持分が譲渡されたとして、結局原判決請求原因第三項記載のとおり持分の移転登記がなされるにいたつた。なお、八十二は、昭和三二年六月二三日死亡し、その妻控訴人板橋とみゑ、その子同板橋佳子、同渡辺和子、同板橋みつ子、同高橋よね子がその遺産を相続し、うのは、被控訴人らが本件訴訟を提起したのちである昭和三四年一〇月二六日死亡し、控訴人はるの、同芳夫、同半治郎、同岩蔵、同喜之助、同佳子、同和子、同みつ子、同よね子がその遺産を相続して訴訟手続を承継し、久太郎は、昭和四六年五月二二日死亡し、その妻控訴人吉井ハルヱ、その子同大坂智子、同吉井顕久、同棟方智恵子、同吉井久嗣がその遺産を相続して訴訟手続を承継した。

三、控訴人伝治、同軍次郎、同教彦および久太郎は、前記のように旧二番の一の土地の持分を取得したことを奇貨として

(一)  昭和三四年六月一二日、旧二番の一の土地を西の平二番の一山林一町六反一畝二七歩(被控訴人大友、同組合が新地番六番の一、二、同八番として売渡を受けた土地のうち旧二番の一の土地にあたる部分。以下字名を省略して地番のみを略記する)、二番の五山林一町六反八畝歩(同じく小島浅治が、新地番七番、九番の一として売渡を受けた土地のうち旧二番の一の土地にあたる部分)、二番の六山林一町二反歩(同じく被控訴人高橋が新地番一〇番の一、二として売渡を受けた土地のうち旧二番の一の土地にあたる部分)に分筆登記し

(二)  昭和三五年一一月二八日、二番の一を、二番の一山林三畝一〇歩、同五一山林二畝歩、同五二山林六畝歩(被控訴人組合が新地番八番として売り渡された土地のうち旧二番の一の土地にあたる部分)、同五三山林二畝歩、同五四山林四畝二〇歩、同五五山林一町四反三畝二七歩に、二番の六を、二番の六山林一町八畝二〇歩、同五六山林八畝一〇歩、同五七山林三畝歩に分筆登記をするとともに、右五三、五四、五六の土地を宅地に地目変更登記をし

(三)  前同日佐藤信雄に対し、二番の五二ないし五五を売渡し、五二ないし五四については昭和三五年一二月二二日、五五については昭和三六年七月五日所有権移転登記をし

(四)  昭和三六年七月五日、二番の一を、二番の一山林一〇歩、同六〇山林三畝歩に分筆登記をし

(五)  控訴人伝治および久太郎は、二番の六に対する同控訴人らの持分合計一二六分の三八を、控訴人伝治は二番の五六に対する持分一二六分の一二を、久太郎は、同土地に対する持分一二六分の一九を、それぞれ佐藤信雄に売渡し、二番の六については、昭和三六年九月一六日、二番の五六の控訴人伝治と久太郎の各持分についても、同日持分移転登記を経由した。

四、佐藤信雄は、

(一)  昭和三六年七月七日、二番の五五を二番の五五山林八反七畝七歩、同六一山林五反六畝二〇歩に分筆登記をし

(二)  同年九月五日、二番の五五を、二番の五五山林七反八畝二歩、同六六山林二畝歩、同六七山林二畝五歩、同番六八山林五畝歩に分筆登記をし、同日右六六ないし六八の土地を宅地に地目変更登記をしたうえ、六六の土地を板垣嘉弘に、六七の土地を野田重一に売渡してそれぞれ所有権移転登記を経由し

(三)  同月一二日二番の五五を、二番の五五山林七反一七歩、同六九山林四畝二歩、同七〇山林二畝二五歩に分筆登記するとともに右六九、七〇の土地を宅地に地目変更登記をしたうえ、六九の土地は、遠藤平三郎、遠藤慎之助、遠藤謙一に各人の持分三分の一で、七〇の土地は安部きよしにそれぞれ売渡していずれも所有権移転登記を経由し

(四)  同月二七日、二番の五五を宅地二一一七坪に地目変更登記をし

(五)  同日二番の六一を宅地一七〇〇坪に地目変更登記をし

(六)  同月二九日、二番の五五を二番の五五宅地二〇八七坪、同七一宅地三〇坪に分筆登記し

(七)  同年一〇月二日、二番の五五を二番の五五宅地二〇三七坪、同七二宅地六〇坪に分筆登記し

(八)  同月四日二番の六一を、二番の六一宅地一六七〇坪、同七三宅地三〇坪に分筆登記し

(九)  同月六日、二番の五五を、二番の五五宅地二〇一七坪、同七四宅地一〇坪に、同月九日さらに二番の五五を二番の五五宅地一九五七坪、同七五宅地六〇坪に、同月一二日、二番の五五を二番の五五宅地一九一七坪、同七九宅地四〇坪に、同月一四日、二番の五五を、二番の五五宅地一七九七坪、同八〇宅地一二〇坪にそれぞれ分筆登記し

(一〇)  同年八月一日、二番の五二を、二番の五二山林一九歩、同六四山林二畝五歩、同六五山林三畝六歩に分筆登記し、同日右六四の土地を山崎英男に売渡して所有権移転登記を経由し

(一一)  同年一〇月一〇日二番の六を二番の六山林一町八畝歩、同七八山林二〇歩に分筆登記した。

五、旧二番の一の土地が、右のように分筆手続のうえで処分されることがあいついだため、被控訴人大友は、控訴人伝治、同教彦、同軍次郎および久太郎、佐藤信雄ほか八名に対し(仙台地方裁判所昭和三六年(ヨ)第二四三号不動産仮処分申請事件)、被控訴人組合は佐藤信雄ほか二名に対し(同裁判所同年(ヨ)第二四四号不動産仮処分申請事件)、被控訴人高橋は、控訴人伝治、同教彦、同軍次郎および久太郎、佐藤信雄ほか一名に対し(同裁判所同年(ヨ)第二四七号不動産仮処分事件)、それぞれ旧二番の一の土地について売買、譲渡、質権、抵当権、賃借権の設定その他一切の処分を禁止する旨の仮処分決定を申請し、被控訴人大友、同組合は同年一〇月一三日、被控訴人高橋は同月二六日、仮処分決定を得てその登記も経由した。

六、しかし、右各仮処分後においても

(一)  控訴人軍次郎は、佐藤信雄に対し、二番の一山林三三平方米、同番の六山林一〇七一〇平方米、同番の五一山林一九八平方米、同番の五六宅地八二六・四四平方米、同番の五七山林二九七平方米、同番の六〇山林二九七平方米、同番の七八山林六六平方米の各一二六分の五〇の持分を売渡し、昭和四一年五月一〇日持分移転登記を経由し

(二)  佐藤信雄は

(1)  二番の五二山林六二平方米を小関滋子に売渡し、昭和四二年九月七日所有権移転登記を経由し、同人において昭和四七年九月三〇日二番の五二を二番の五二山林四五平方米、同一二二山林一六平方米に分筆登記をしたのち、同人と佐藤信雄は、右五二の土地の売買契約を合意解約して、同年一〇月一三日同人に所有権移転登記を経由し

(2)  二番の五三宅地一九八・三四平方米を岩見輝美に売渡し昭和四四年五月一二日所有権移転登記を経由し

(3)  二番の五四宅地四六二・八〇平方米を吉原護一に売渡して昭和四一年六月八日所有権移転登記を経由し

(4)  昭和四〇年一一月二二日、二番の五五宅地一七九七坪を二番の五五宅地九一一坪一合六勺、同八八宅地六〇〇坪二合五勺、同八九宅地二八五坪五合八勺に、さらに昭和四三年一二月二七日二番の五五宅地三〇一二・〇六平方米を、二番の五五宅地一三九・七七平方米、同九四宅地三〇六・一九平方米、同九五宅地一二八・三一平方米、同九六宅地六一九・六三平方米、同九七宅地一八一八・一六平方米にそれぞれ分筆登記をし、さらに昭和四七年七月一二日、二番の五五を二番の五五宅地八〇・一七平方米、同一一九宅地五九・六〇平方米に分筆登記をし

(5)  昭和四三年一二月二七日、二番の六一を二番の六一宅地五〇三・三〇平方米、同九八宅地一四一・七六平方米、同九九宅地三三〇・八五平方米、同一〇〇宅地二三一・四二平方米、同一〇一宅地四二三・三八平方米、同一〇二宅地二四三・二〇平方米、同一〇三宅地三四七・一五平方米、同一〇四宅地三四七・〇三平方米、同一〇五宅地一三二三・三八平方米、同一〇六宅地五一二・三九平方米、同一〇七宅地三八五・一四平方米、同一〇八宅地六九・九二平方米に分筆登記し、そのうち二番の六一の土地の持分三分の二を一旦星りゑほに売渡したが再び同人から売渡を受けて、その後片村勇幸に売渡して、昭和四七年七月一七日、所有権移転登記を経由し

(6)  二番の六四山林二一四平方米を山崎英男から買受けて昭和四〇年五月一日付で所有権移転登記を経由したのち、昭和四七年九月三〇日、右土地を二番の六四山林一五平方米、同一二三山林九九平方米、同一二四山林九九平方米に分筆登記し

(7)  二番の六五山林三一七平方米を、昭和四八年一〇月二二日、二番六五山林一六平方米、同一二八山林三〇〇平方米に分筆登記し

(8)  二番の六七宅地二一四・八七平方米を訴外鈴木猛に売渡して昭和四八年三月一五日所有権移転登記を経由し

(9)  二番の六八宅地四九五・八六平方米を高橋幸二に売渡して昭和四一年六月七日所有権移転登記を経由し

(10) 二番の七〇宅地二八〇・九九平方米を安部きよしから買い受けたのち再び本田磋武郎に売渡し昭和四四年七月一八日付で所有権移転登記手続を経由し

(11) 二番の七三宅地九九・一七平方米を片村勇幸に売渡して昭和四七年七月一七日所有権移転登記を経由し

(12) 昭和四七年九月二九日二番の七四宅地三三・〇五平方米を、二番の七四宅地一六・四九平方米、同一二一宅地一六・五五平方米に分筆登記し

(13) 昭和四三年一二月二七日二番の七五を二番の七五宅地一二一・八五平方米(ただし昭和四四年二月四日錯誤により七六・四九平方米と訂正)、同一〇九宅地八四・八〇平方米、同一一〇宅地三七・〇五平方米に分筆登記し

(14) 二番の七九宅地一三二・二三平方米を岩見輝美に売渡し昭和四四年五月一二日所有権移転登記をし

(15) 二番の八〇宅地三九六・六九平方米を熊谷幸雄に売渡し昭和四三年一二月二日所有権移転登記を経由し

(16) 昭和四一年八月一七日二番の八八を二番の八八宅地九九二・一二平方米、同九一宅地九九二・一六平方米に分筆登記し、ついで二番の八八を昭和四二年三月七日二番の八八宅地四九五・八九平方米、同九二宅地四九六・二二平方米に分筆したのち、右二番の八八の宅地を高谷捷才に売渡し昭和四七年九月一八日所有権移転登記を経由し

(17) 昭和四四年四月一一日、二番の八九を二番の八九宅地五四六・四六平方米、同一一一宅地三九七・六〇平方米に分筆登記し、右二番の八九の土地を高橋三郎に売渡して同日所有権移転登記を経由し

(18) 二番の九一宅地九九二・一六平方米を寺島輝雄に売渡して昭和四二年一月二五日付で所有権移転登記を経由し

(19) 二番の九二の宅地を、昭和四四年七月一九日二番の九二宅地二四四・七四平方米、同一一二宅地二五一・四七平方米に分筆し、ついで右二番の九二の宅地を、昭和四七年八月三一日二番の九二宅地一六五・三二平方米、同一二〇宅地七九・四一平方米に分筆登記し、右二番の九二の土地を高谷捷才に売渡して昭和四七年九月一八日所有権移転登記を経由し

(20) 二番の九四宅地三〇六・一九平方米を菅野正子に、同九五宅地一二八・三一平方米を菅野近三に、同九七宅地一八一八・一六平方米を加藤静子に、同九八宅地八〇三・四六平方米を高橋幸二に、それぞれ売渡して昭和四三年一二月二七日所有権移転登記を経由し、その後高橋幸二が右九八を二番の九八宅地一四一・七六平方米、同一二六宅地三三〇・八八平方米、同一二七宅地三三〇・八一平方米に分筆登記したのち、右九八の宅地についての売買契約を合意解約して佐藤信雄において昭和四八年二月一六日所有権移転登記を経由したのち、右土地を阿部宗浩に売渡し同日付で所有権移転登記を経由し

(21) 二番の九九宅地三三〇・八五平方米を野崎花に、同一〇一宅地四二三・三八平方米を今泉徳衛に、同一〇二宅地二四三・二〇平方米を鍋島治子に、それぞれ売渡して昭和四三年一二月二七日所有権移転登記を経由し

(22) 二番の一〇〇宅地二三一・四二平方米を阿部宗浩に売渡して昭和四八年二月一六日所有権移転登記を経由し

(23) 二番の一〇三宅地三四七・一五平方米を安部静男に売渡して昭和四七年九月一四日所有権移転登記を経由し

(24) 二番の一〇四宅地三四七・〇三平方米を砂川金一に売渡して昭和四三年一二月二七日所有権移転登記を経由したところ、同人は右土地を安部静男に売渡して昭和四七年九月一四日所有権移転登記を経由し

(25) 二番の一〇五宅地一三二三・三八平方米を岡崎信幸に売渡し昭和四三年一二月二七日所有権移転登記を経由したのち、同人は右土地を昭和四七年二月二二日二番の一〇五宅地六六一・四六平方米、同一一七宅地六六一・九一平方米に分筆登記し、そのうち右一〇五の土地を大泉吉郎に売渡し昭和四七年二月二五日所有権移転登記を経由し

(26) 二番の一〇六宅地五一二・三九平方米の持分一五五分の一一〇を訴外阿部栄之進に売渡して昭和四五年六月一七日持分移転登記を経由し

(27) 二番の一〇七宅地三八五・一四平方米を遠藤芳雄に売渡し、昭和四三年一二月二七日所有権移転登記を経由し

(28) 二番の一〇九宅地八四・八〇平方米を菅野正子に売渡し昭和四三年一二月二七日所有権移転登記を経由し

(29) 二番の一一〇宅地三七・〇五平方米を菅野近三に売渡し同日所有権移転登記を経由し

(30) 二番の一一一宅地三九七・六〇平方米を大須賀博信に売渡し昭和四四年六月二日所有権移転登記を経由し

(31) 昭和四七年九月三〇日二番の一一二を、二番の一一二宅地一八五・二七平方米、同一二五宅地六六・二〇平方米に分筆登記し

(32) 二番の一一七宅地六六一・九一平方米を岡崎信幸に売渡し昭和四三年一二月二七日所有権移転登記を経由したのち、同人が右土地を工藤延夫に売渡して昭和四七年二月二五日所有権移転登記を経由し

(33) 二番の一一九宅地五九・六〇平方米を片村勇幸に売渡し昭和四七年七月一七日所有権移転登記を経由し

(34) 二番の一二一宅地一六・五五平方米を鈴木猛に売渡して昭和四九年四月九日所有権移転登記を経由し

(35) 二番の一二三山林九九平方米を山崎英男から買受けて昭和四〇年五月一日所有権移転登記を経由したのち一旦小関滋子に右土地を売渡して所有権移転登記を経由したが合意解約して再び佐藤信雄に所有権移転登記をしたのち鈴木猛に売渡して昭和四九年四月九日所有権移転登記を経由し

(36) 二番の一二四山林九九平方米についても右一二三の土地と同様に山崎英男から買受けて昭和四〇年五月一日所有権移転登記を経由したのち、一旦小関滋子に右土地を売渡して所有権移転登記を経由したが合意解約して再び佐藤信雄に所有権移転登記をしたのち鈴木猛に売渡して昭和四八年三月一五日所有権移転登記を経由し

(37) 二番の一二七宅地三三〇・八一平方米を菅野京子に売渡し昭和四八年二月一六日所有権移転登記を経由し、二番の一二八山林三〇〇平方米を穂積征夫に売渡し、昭和四八年一一月二日所有権移転登記を経由し

(38) 二番の六八を、昭和五〇年七月三日、二番の六八宅地二三〇・二一平方米と同一三一宅地二六五・六五平方米に分筆登記した。

七、右三ないし六のような分筆および地目変更登記がなされた経緯により、旧二番の一の土地のうち、新地番六番の一、二に含まれる部分は、別紙第一目録記載の二番の一山林三三平方米ほか四九筆の土地に分筆され、同じく新地番八番に含まれる部分は、別紙第二目録記載の二番の五二山林四五平方米ほか六筆の土地に分筆され、同じく新地番一〇番の一、二に含まれる部分は、別紙第三目録記載の二番の六山林一〇七一〇平方米ほか三筆の土地に分筆されるにいたつた。そしてこれら分筆された土地についてはすべて原判決請求原因第三項に記載されている登記がなされている。

八、しかし、旧二番の一の土地は、宮城県農地委員会が、自作農創設特別措置法第三〇条にもとづき、昭和二二年六月六日、買収の時期を同年七月二日とする未墾地買取計画をたて、仙台市長に委嘱して同年六月九日その旨の公告をし、かつ同日から二〇日間仙台市役所において右買収計画書を縦覧に供し、異議の申立がなかつたので、宮城県知事は、前述のように、昭和二三年一月三〇日買収令書を発行して百之助に発送し、右買収令書は翌日頃同人に到達し、同人は昭和二五年一一月二八日異議なく対価を受領したのであるから、補助参加人国は、買収計画で定めた買収の時期である昭和二二年七月二日旧二番の一の土地につき所有権を取得し、同時に百之助の所有権は消滅したのである。したがつて、同人の相続人である亡うの、控訴人軍寿、同はるの、同芳夫、同半治郎、同岩蔵、同喜之助および八十二が、旧二番の一の所有権を相続することはあり得ない。

九、しかるに、宮城県知事が、旧二番の一の土地の買収ならびに売渡処分による、所有権取得、新地番設定および所有権移転の登記手続を準備しているうちに、昭和二七年六月四日百之助が死亡したところ、控訴人軍次郎、同伝治、同教彦および久太郎は、旧二番の一の土地の正式な地番が仙台市長町字西の平二番の一であるのに、買収令書には同市芦の口字西の平二番の一と記載され、売渡通知書には、被控訴人大友について同字富沢字西の平六番の一、二、同組合について同上八番、同高橋について同上一〇番の一、二と記載されている表示の齟齬があり、しかも国が買収処分による所有権取得登記を未だ経由していないことを奇貨として、共謀して不法な利益を得ることを企てた。そして控訴人伝治、同教彦および久太郎が一切の経費を負担して被控訴人らから、旧二番の一の土地を取り戻した場合には、その三分の一を控訴人軍次郎から貰い受ける旨を約定し、被控訴人らが自作農創設特別措置法により政府から売渡を受けて開墾し、現に畑として又は採草放牧地として使用していることを知悉しながら、旧二番の一の土地を被控訴人らから取り戻すために、控訴人軍次郎は、百之助の相続人うのらに秘して三文判を利用してほしいままに、相続人うの名義で、原判決請求原因第三項のように仙台法務局昭和三一年一二月二四日受付第四一二二号をもつて相続人全員のために相続登記をしたうえ、控訴人軍寿、同はるの、同芳夫の無権代理人長山光子、同半治郎、同岩蔵、同喜之助およびうのらから、西の平に相続財産の土地が残つていたので皆で相続するので、印が必要だと称して、実印を借りてこれを冒用し、あるいは実印を盗用して実際には控訴人軍寿らが旧二番の一の共有持分を控訴人軍次郎、同伝治、同教彦および久太郎に売渡していないのに、勝手に控訴人軍寿ら名義の移転登記申請書、委任状を偽造して、同法務局昭和三一年一二月二八日受付第四二八九号をもつて控訴人軍次郎、同伝治、同教彦および久太郎に持分移転登記を経由し、また百之助の相続人八十二からも、同様に実印を借りてこれを冒用し、勝手に同人名義の共有持分売渡証、委任状等を偽造して、仙台法務局昭和三二年一月二五日受付第二一一号をもつて控訴人軍次郎に持分移転登記を経由したのである。以上の次第で、控訴人軍次郎が、控訴人伝治、同教彦および久太郎と共謀のうえ、控訴人軍寿らの実印を冒用または盗用して移転登記申請書、委任状等を偽造して控訴人軍次郎、同伝治、同教彦および久太郎の名義に持分移転登記を経由したに過ぎないというべきもので、右控訴人軍次郎ら四名は、控訴人軍寿ら相続人と何ら有効な取引関係がなく、旧二番の一の土地について実体上何らの権利を取得していない純然たる無権利者であるから、被控訴人らの登記の欠缺を主張する正当な利益を有する第三者には該当しない。また、控訴人軍寿ら相続人が、控訴人軍次郎ら四名の前述のような持分移転登記を追認することがあつたとしても、控訴人軍次郎、同伝治、同教彦および久太郎の四名は、前述のように不法な利益を獲得する目的であつたものであり、その手段方法も、詐欺または強迫によつて登記の申請を妨げた第三者に登記の欠缺を主張することを認めない不動産登記法第四条の法意にもとり、社会生活上一般に許容されないものというべく、結局右控訴人軍次郎ら四名は、信義則違反の行為により被控訴人らの登記を妨げたものにあたるから、背信的悪意者に該当し、登記の欠缺を主張する正当な利益を有する第三者にあたらず、被控訴人らは、登記なくして、旧二番の一の土地の所有権を控訴人軍次郎ら四名に対抗することができるというべきである。

一〇、右の主張が理由がないとしても、被控訴人らは、昭和二二年三月一〇日頃、宮城県知事から旧二番の一の土地のうち、のちにそれぞれ売渡を受けた部分を、売渡予定地として引渡を受け、被控訴人大友、同高橋は同年四月頃から引渡を受けた土地の開墾に着手し、被控訴人組合も、引渡を受けた土地を採草放牧地として使用を開始した。そしてその後昭和二四年一二月一日付の宮城県知事の売渡通知書により、旧二番の一の土地のうち被控訴人らがそれぞれ売渡を受けた部分を正式に引渡を受けたのであるが、同年夏頃までには既に、被控訴人大友、同高橋は、採草放牧地または防風林として残した僅少の部分を除くほか、全て開墾し、畑として耕作していた。したがつて昭和三〇年三月一日、知事の命令により宮城県農地開拓課員渡辺菊男が旧二番の一の土地の利用状況を検査した当時は被控訴人大友、同高橋が売渡を受けた部分は既に熟畑となつていた。もとより、控訴人軍次郎、同伝治、同教彦および久太郎が旧二番の一の土地の共有持分を取得した昭和三一年一二月二五日頃も当然熟畑であつたのであり、被控訴人組合もその売渡土地を採草放牧地として使用していたのである。したがつて、右の現況農地であつたというべき旧二番の一の土地について、控訴人軍次郎、同伝治、同教彦および久太郎が共有持分を得るについては、知事の許可が必要であるのに、同控訴人ら四名は、いずれも知事の許可を得ていないのであるから、同控訴人ら四名は、いまだ旧二番の一の土地の共有持分を取得しておらず、旧二番の一の土地に関して有効な取引関係にたつものとはいえないから、民法第一七七条の第三者に該当しないので、対抗要件の問題を生ずる余地がない。

一一、また、旧二番の一の土地のうち、現在農地となつていない採草地、道路、宅地等の部分が、控訴人軍次郎、同伝治、同教彦および久太郎が持分を取得した昭和三一年一二月二八日および昭和三二年一月二五日当時農地でなかつたことは認めるが、右旧二番の一の土地は、知事が自作農創設特別措置法第四一条第一項により、売渡の時期を昭和二四年一一月一日と定めて売渡処分をしたものであるが、農地法施行法は、売渡後の未墾地の特例を設け、農地法の施行前に自作農創設特別措置法第四一条第一項第一号の規定により売渡を受けた土地については、農地法第七一条から第七四条までの規定の適用については、同法第六一条の規定により売渡したものとみなし、この場合において、同法第七三条第一項中「第六七条第一項第六号の時期到来後三年」とあるのは、「売渡の時期から起算して八年」と読みかえるものとしている。したがつて旧二番の土地の売渡処分の時期である昭和二四年一一月一日から八年を経過する昭和三二年一〇月三一日までは、売渡を受けた西の平六番の一、二、同八番、同一〇番の一、二のうち旧二番の一に該当する部分については、所有権の移転をするためには当事者において農林大臣の許可を要するのであり、右許可を受けないでした行為はその効力を生じないというべきところ、控訴人軍次郎ら四名は農林大臣の許可なく旧二番の一の土地について持分移転登記をしたもので、所有権移転の効力は生じないのであり、この点でも、同控訴人らは、民法第一七七条の第三者に該当しない。

一二、かりに右の主張が理由がないとしても、被控訴人らは、昭和二四年一二月一日付売渡通知書をその翌日に受領してそれぞれ旧二番の土地の一部の売渡を受けて以来、それぞれ売渡を受けた土地を畑または採草放牧地として、善意無過失で所有の意思をもつて昭和三四年一二月二日まで一〇年間平穏公然に占有使用してきたのであるから、同日の経過により取得時効が完成し、被控訴人らは、それぞれ旧二番の一の土地のうち各自売渡を受けた部分の所有権を取得したのであるから、被控訴人らは、控訴人軍次郎、同伝治、同教彦および久太郎に対し、旧二番の一の土地のうち、それぞれにおいて売渡を受けた部分の所有権を登記なくして対抗し得るのである。

一三、仙台市には芦の口という大字は実在しないし、また大字富沢というところはあるが、同字は、西の平と隣接していて大字富沢字西の平というところはない。このことからしても、仙台市大字芦の口字西の平二番の一としてなされた買収処分および同市大字富沢字西の平二番の一としてなされた売渡処分が、長町字西の平二番の一の誤記であつたことは明らかである。

一四、補助参加人国が、控訴人らに対し旧二番の一の土地について抹消登記請求権を有しないとか、被控訴人らが国の抹消登記請求権を代位行使できないという控訴人の主張は争う。

(控訴人らの主張)

一、旧二番の一の土地を、宮城県農地委員会が未墾地として買収し売渡計画をたてるにあたり、右土地を実測したことや、他の土地をも含めて新地番を付して被控訴人らを相手方とする売渡計画をたて、被控訴人らが売渡通知書を受け取つたという経緯は知らないが、右土地が、登記薄上面積は四町四反九畝二七歩であるが実測面積が四町六畝二〇歩であることと、買収および売渡処分の効力を別とすれば、右土地について、被控訴人主張のように宮城県農地委員会が未墾地買収計画をたて、板橋百之助に買収令書が交付され、同人がその対価を受領したことは認める。

また、国が、右土地について未墾地買収による所有権取得登記をしないでいる間に百之助が死亡し、その後被控訴人主張のように、うの、控訴人軍寿、同はるの、同芳夫、同半治郎、同岩蔵、同喜之助、八十二の相続登記がなされ、かつ、うの、控訴人軍寿、同はるの、同芳夫、同半治郎、同岩蔵、同喜之助から、控訴人軍次郎、同伝治、同教彦および久太郎に対する持分移転登記ならびに八十二から控訴人軍次郎に対する持分移転登記がなされたこと、そして旧二番の一の土地がその後被控訴人ら主張の経過を辿つて多数に分筆され、被控訴人らが売渡を受けたという新地番六番の一、二、同八番、同一〇番の一、二に含まれる旧二番の一の土地のそれぞれの部分が別紙第一ないし第三目録記載のとおり分筆された土地になつていること、本訴提起後にうの、久太郎が死亡し、控訴人はるの、同芳夫、同半治郎、同岩蔵、同喜之助、同佳子、同和子、同みつ子、同よね子がうのの、同ハルヱ、同智子、同顕久、同智恵子、同久嗣が久太郎の遺産を相続したことは認める。

二、しかし、農地または未墾地の買収は、国家権力の行使であつて私経済上の取引ではないから、一般の私的取引における登記権利者、登記義務者の観念を容れる余地はない。国が買収を正当に行なえば、自作農創設特別措置登記令第一条ないし第六条により嘱託登記をなすべきもので、任意の売買登記をすべきものではない。国が嘱託登記を旧二番の一の土地について長い間しなかつたのは、右登記令第六条の必要書類を添付できなかつたためである。被控訴人らは国に代位して控訴人らに本件所有権移転登記等の抹消登記手続の請求をしているが、国の被買収者に対する登記請求権は、私的取引とは異なる公権力の行使に伴なう公法上の権利であるから、国から売渡を受けた被控訴人らが代位行使することは許されない筈である。

三、かりに、旧二番の一の土地に対する国の買収処分が適法かつ有効になされたとしても、被控訴人らが右土地の所有権を登記なくして控訴人らに対抗し得るという点は否認する。

(一)  まず、国が農地または未墾地を買収処分により取得することは、その性質上原始的取得であるが、その取得を第三者に対抗するためには、所有権取得登記を経由しなければならない。農地買収手続の承継人に対する効力を定めた自作農創設特別措置法第一一条、第三四条は、農地または未墾地の買収計画樹立から買収令書交付にいたるまでの所有権等の承継取得に関する規定であり、買収令書交付後の所有権等の承継にまで適用さるべきではない。国は、買収令書交付後速やかに所有権の移転登記をしなければ、旧所有者から所有権の移転登記を受けた第三者に対抗することができない。したがつて、旧二番の一の土地について、国は所有権取得登記を経ていないから、右土地について相続以外の事由によりその持分を取得し、その登記を経た控訴人軍次郎、同伝治、同教彦および久太郎に対抗することはできないのであり、同控訴人ら四名に対する抹消登記手続請求権は発生する筈がない。まして国から被控訴人らに対する売渡は、私経済上のものであるから、一般第三者に対する関係では、その所有権を第三者に対抗することはできない。

(二)  旧二番の一の土地を、控訴人軍次郎が百之助の相続人うのらの充分な諒解なしに相続登記や持分移転登記を行なつた形跡もない訳ではないが、控訴人軍寿以外の控訴人はるの、同芳夫、同喜之助、同半治郎、同岩蔵、板橋八十二は、百之助の後妻うのの子又は孫で、控訴人軍寿の子同軍次郎に好感をもつておらず、それに加えて、同控訴人らからのちに旧二番の一の土地の一部を譲り受けた佐藤信雄が、同土地をめぐつて刑事事件を起し警察の取り調べを受けたので、相続登記や持分移転登記については関知しないというような供述をした結果、控訴人軍次郎がひとり勝手に右のような登記をした外観が生じたもので、控訴人軍寿、同はるの、同芳夫、同喜之助、同半治郎、同岩蔵らが被控訴人らに応訴している事実からしても同軍次郎の旧二番の一の土地の処分を追認していることは疑う余地がない。

(三)  被控訴人らは、控訴人軍次郎、同伝治、同教彦および久太郎らが、本件土地を買受け所有権移転登記を受けた当時、該土地は、全部開墾されて農地となつていたから、その移転については知事の許可を要するところ、その許可がないので、所有権移転の効力を生ずる理由がないというが、もともと本件のような無効な買収処分にもとづく開墾農地には農地法第三条の規定の適用はない筈であるし、旧二番の一の土地のうち二町三反三畝一歩は同控訴人ら四名が右二番の一の土地についての持分を取得した昭和三一年一二月二八日当時においても農地でなかつたから、もともと農地法の適用があるはずのものではない。また、同控訴人ら四名が宮城県知事の許可を得ないで旧二番の一の土地について持分移転登記をしたことは認めるが、農地法第三条は、所有権移転登記がなされた当時農地であつても、口頭弁論終結時までに農地でなくなつた場合には適用がないのであるから、同条を適用するためには、少なくとも現在旧二番の一の土地のうち農地の部分を特定したうえ、その農地の部分についてのみ控訴人らの経由した移転登記の抹消登記手続を求めるべきであり、旧二番の一の土地全部についての持分移転登記の抹消登記手続を求めるべきではない。

四、被控訴人らが旧二番の土地の一部を畑または採草放牧地として使用してきたことは認めるが、被控訴人らの主張によつても被控訴人らが売渡通知書を受領したのは昭和二四年一二月一日であるから、被控訴人らの旧二番の一の土地に対する自主占有が開始されたのは同日以降である。しかして、控訴人らが被控訴人らの訴状について答弁をし、旧二番の一の土地が被控訴人らの所有に属することを否認したのは、昭和三二年一〇月二九日の本件第一回準備手続においてであるから、右答弁により取得時効は中断されたのである。

五、仙台市には「芦の口」なる大字は実在せず、また「大字富沢」なるところはあるが、それは「西の平」と隣接していて「大字富沢字西の平」というところがないことは認める。

(証拠)<省略>

理由

一、仙台市長町字西の平二番の一山林四町四反九畝二七歩すなわち旧二番の一の土地がもと板橋百之助の所有であつたことは、当事者間に争いがない。そして成立に争いのない甲第一三号証、乙第一ないし第七号証、宮城県知事の印影の部分の成立について争いがなく、原審における証人柴森英行の証言によりその余の部分の成立を認める甲第三号証、同第五号証の一ないし四、同証言により成立を認める甲第四号証、方式および趣旨により真正に成立した公文書と推定される甲第七、第一一、第一二号証、原審における証人菅原正志、同田母神納、同柴森英行、同中島高吉、同菊田繁二の各証言、原審における被控訴組合代表者佐藤太二(第一ないし第三回)、被控訴人高橋利蔵、訴の取下前の原告小島浅治各本人尋問の結果によると次のような事実を認めることができる。すなわち、宮城県知事は、昭和二二年頃、旧二番の一の土地について周辺の土地とともに自作農創設特別措置法(昭和二一年法律第四三号)にもとづく未墾地買収計画を樹立し、右の土地を実測してその面積を四町六畝二〇歩と定めた(この面積は当事者間に争いがない)うえ、同年六月六日、買収の時期を同年七月二日とし、その旨を公告し、また所定事項を記載した書類を同年六月九日から同月二九日まで縦覧に供して所定の手続を経たうえ、昭和二三年一月三〇日付で買収令書を発行し、右買収令書は、その頃百之助に交付され、昭和二五年一月二八日、同人に買収の対価が支払われた(後述の買収処分の効力を別にすると、百之助に対し、右のような買収手続がなされたことは、控訴人らにおいても認めるところである。)。一方、宮城県知事は、昭和二二年頃に、旧二番の一の土地を被控訴人らを含む開拓者に未墾地売渡予定地として引渡し、被控訴人らは、それぞれ開墾のうえ、被控訴人組合は採草地として、同大友、同高橋は畑地として各自引渡を受けた部分を耕作していたが、宮城県知事は、昭和二四年頃に旧二番の一の土地と周辺の土地をあわせて新地番を設定し、そのうち(一)、同市長町字西の平六番の一山林一町八畝三歩(そのうち一町六畝三歩が旧二番の一の土地に該当する。)、同六番の二山林四反五畝歩(同じく四反歩が旧二番の一に該当する)を被控訴人大友に、(二)同市長町字西の平八番山林六畝歩(同じく五畝歩が旧二番の一に該当する)を被控訴人組合に、(三)、同一〇番の一山林九反四畝一五歩(同じく七反四畝一五歩が旧二番の一に該当する)、同一〇番の二山林四反五畝歩(同じく一反八畝歩が旧二番の一に該当する)を被控訴人高橋に売渡すべく、宮城県農地委員会が売渡の時期を昭和二四年一一月一日と定めて樹立した売渡計画にもとづく所定の手続を経て、同年一二月一日付売渡通知書を発行し、その頃、被控訴人らに売渡通知書が到達した(右新地番の土地にそれぞれ被控訴人ら主張のように旧二番の一の土地が含まれることは当事者間に争いがない)。以上の事実が認められるのであり、この認定を左右するに足る証拠はない。

二、ところで、前記乙第一号証、同第三ないし第七号証によると、宮城県農地委員会の買収計画書および百之助に交付された買収令書には、被売収土地の表示として仙台市大字芦の口字西の平二番の一実測面積四町六畝二〇歩(買収計画書の台帳面積は四町四反九畝二七歩)という記載があり、被控訴人大友に対する土地売渡通知書には売渡地が仙台市大字富沢字西の平六番の一、二と表示され、同じく被控訴人組合に対する売渡地は同字八番、被控訴人高橋に対する売渡地は同字一〇番の一、二と表示されていたことが認められるところ、控訴人らは右のような買収地ないし売渡地の大字の表示の齟齬を理由として、仙台市長町字西の平二番の一という表示である旧二番の一の土地に対する買収処分は存在しないとか、大字名を異にしてなされた買収処分ないし売渡処分は無効であると主張するけれども、前記証人菅原正志、同田母神納、同柴森英行、同中島高吉、同菊田繁二の各証言、被控訴組合代表者佐藤太二(ただし第一回)、被控訴人高橋利蔵各本人尋問の結果によると、旧二番の一の土地が含まれるいわゆる仙台市鈎取地区には種々の大字名があり、旧二番の一の土地の所在する地域は一般に仙台市芦の口字西の平と称せられていたことが認められることに加えて、同市内には芦の口という大字が実在せず、また大字富沢という地名があつて西の平と隣接していることは当事者間に争いがないことを考えあわせると、旧二番の一の土地の買収にあたつては、地名を誤まつて大字名を芦の口として買収計画ならびに買収処分が行なわれ、またその売渡にあたつては、大字名を付近の大字名と間違えて、大字名を富沢として売渡されたものと解するのが相当である。したがつて、旧二番の一の土地の買収ならびに売渡処分にあたつては、買収令書および売渡通知書において大字名の誤記があつたと認められるが、単なる誤記の程度をこえて旧二番の一の土地に対する買収処分が存在しないとか、買収ならびに売渡処分の無効を招来する重大かつ明白な瑕疵があると解することは相当でない。しかも、前記甲第三号証、第五号証の一ないし四、第七号証、原審における被控訴組合代表者佐藤太二本人尋問の結果(第一回)により成立を認める甲第九号証、第一〇号証の一ないし四と右尋問の結果によると、宮城県知事は、昭和三三年七月四日発議、同月七日決裁の文書にもとづいて前記売渡処分の土地の表示を訂正し、前記の誤記も修正されたことが明らかである。以上の次第で、旧二番の一の土地に対する宮城県知事の買収ならびに売渡処分は適法かつ有効なものというべきであるから、補助参加人国は、買収の時期である昭和二二年七月二日に右土地に対する所有権を取得し、被控訴人らは売渡の時期である昭和二四年一一月一日に、それぞれ新地番のなかに含まれる旧二番の一の土地について所有権を取得したものというべきことは明らかである。

三、ところで、旧二番の一の土地については、補助参加人国が所有権取得登記を経由しないでいるうちに昭和二七年六月四日百之助が死亡したところ、その相続人である妻うの、控訴人軍寿、同はるの、同芳夫、同半治郎、同岩蔵、同喜之助、八十二が、昭和二七年六月四日相続を原因として、仙台法務局昭和三一年一二月二四日受付第四一二二号をもつて、うのの持分二一分の七、その余の者の持分各二一分の二とする所有権移転登記がなされ、さらに、うの、控訴人軍寿、同はるの、同芳夫、同半治郎、同岩蔵、同喜之助の右各持分は、昭和三一年一二月二八日売買により控訴人伝治と久太郎が各持分一二六分の一九、控訴人教彦、同軍次郎が各持分一二六分の三八を取得した旨の持分移転登記が同法務局昭和三一年一二月二八日受付第四二八九号をもつてなされ、八十二の持分も控訴人軍次郎に対し、昭和三二年一月二四日売買を原因として、同年一月二五日同法務局受付第二一一号をもつて持分移転登記がなされていることは当事者間に争いがない。また、八十二が、昭和三二年六月二三日死亡し、その妻控訴人板橋とみゑ、その子同板橋佳子、同渡辺和子、同板橋みつ子、同高橋よね子がその遺産を相続したこと、うのが昭和三四年一〇月二六日死亡し、その子控訴人はるの、みよしの子同芳夫、うのの子同半治郎、同岩蔵、同喜之助、八十二の子同佳子、同和子、同みつ子、同よね子がその遺産を相続したこと、久太郎が昭和四六年五月二二日死亡し、その妻控訴人吉井ハルヱ、その子同大坂智子、同吉井顕久、同棟方智恵子、同吉井久嗣がその遺産を相続したことは、当事者間に争いがない。そして前記のように、控訴人伝治、同教彦、同軍次郎および久太郎が旧二番の一の土地についての持分移転登記を経由したのち、同控訴人ら四名および同控訴人ら四名から右の土地の一部の所有権ないし持分の譲渡を受けた佐藤信雄らの手によつて被控訴人主張事実三ないし六の経過のとおり、右土地が多数の土地に分筆されるとともに地目変更登記がなされ、現在被控訴人大友が売渡を受けた新地番六番の一、二に含まれる旧二番の一の土地は別紙第一目録記載の土地となり、同じく被控訴人組合が売渡を受けた新地番八番に含まれる旧二番の一の土地は別紙第二目録記載の土地となり、同じく被控訴人高橋が売渡を受けた新地番一〇番の一、二に含まれる旧二番の一の土地は別紙第三目録記載の土地となるにいたつていることも、当事者間に争いがない。

四、そこで、補助参加人国および被控訴人らが、旧二番の一の土地に対する所有権(被控訴人らはそれぞれその一部についての所有権)を、百之助の相続人から持分の移転登記を受けた控訴人伝治、同教彦、同軍次郎および久太郎に対抗することができるかどうかを検討する。成立に争いのない甲第二五号証ないし第六〇号証、第六一号証の一ないし一五、第六二号証の一ないし一九、第六三号証の一ないし四、第七三号証ないし第七七号証、第七八号証の一、二、第九二号証、原本の存在および成立に争いのない甲第八〇号証、乙第一五号証、当審における証人長山光子、同大和田新一郎、同渡辺菊男、同高山登、同寺崎春吉、同高橋たつみ、同大友義雄(第一ないし第三回)、の各証言、当審における控訴人加藤喜之助、同板橋半治郎、同板橋とみゑ、同大友はるの、同細谷岩蔵、被控訴人大友春雄(第一、二回)、同高橋利蔵(第一、二回)、被控訴組合代表者佐藤太二各本人尋問の結果を総合すると次のような事実が認められる。すなわち、被控訴人大友、同高橋および被控訴組合は、それぞれ旧二番の一の土地のうち売渡を受けた部分については、昭和二二年頃売渡予定地として引渡を受けた当時から開墾をはじめ、被控訴人大友は畑および果樹園として、同高橋は、畑、果樹園および酪農用の草地として、被控訴組合は採草地として利用し、昭和三〇年頃までには一部の宅地用敷地等をのぞいて殆んど開墾を終了するにいたつていた。ところが、控訴人軍次郎は、控訴人軍寿の二男であり、同教彦は同軍次郎の義兄であり、同伝治は不動産取引業であり、久太郎は、控訴人伝治の顔見知りであつたが、百之助に対する宮城県知事の買収令書に記載されている土地の大字が芦の口であり、売渡処分の土地の表示は大字富沢字西の平となつているような表示の齟齬があり、また所有権移転登記もなされずに登記名義が百之助のままになつているということを知り、買収ないし売渡処分の瑕疵に藉口して、現実に開墾し占有している被控訴人らから売渡を受けた土地の半分か六、七割を取り戻そうと考え、そのためには百之助の相続人から控訴人伝治ら四名の名義に登記薄上の所有名義を変更する必要があるとして、控訴人伝治が、計画成就の際には、取り戻した土地の三分の一を貰う約束で費用の一切を負担し、軍次郎が、うの、控訴人軍寿、同はるの、同芳夫、同半治郎、同喜之助、同岩蔵、八十二から、百之助の遺産の相続洩れの土地があつたので手続のために印が必要であるなどと口実をもうけて、百之助の相続人らから委任状や印鑑証明を貰い、これを利用して、前記のような百之助の相続人らの相続登記を経由したのち、控訴人伝治ら四名宛に持分移転登記を経由し、八十二の持分についてはその後控訴人軍次郎宛に持分移転登記を経由した。

そして、控訴人伝治、同軍次郎、同教彦および久太郎は、控訴人伝治を代表者として被控訴人らに対し売渡地の七割か六割を返還するよう交渉したが、被控訴人らに拒絶され、かえつて本件訴訟を提起され、昭和三五年七月一三日控訴人ら敗訴の第一審判決を受けるや、控訴人伝治ら四名で既に旧二番の一を分筆していた登記薄上二番の五二ないし五四、同五五の土地を時価の三分の一か四分の一の値段の坪一、〇〇〇円で佐藤信雄に売却し、合計金四三五万円を得て各自の持分に応じて山分けした。おおよそ以上の事実が認められるのであり、この認定を左右するに足る証拠はない。なお、控訴人軍次郎が百之助の相続人から、それぞれの持分を同控訴人ら四名に移転するについて、代理権を与えられていた証拠はないけれども、控訴人はるの、同半治郎、同喜之助、同岩蔵、同とみゑは、当審における本人尋問の結果において被控訴人らに応訴する意思を明らかにしており、その他の百之助の相続人も応訴していることにより、控訴人軍次郎の右の行為は追認されたものと解するのが相当である。しかし、以上のような事実関係のもとにおいては、控訴人伝治、同軍次郎、同教彦および久太郎の四名は、被控訴人らが旧二番の一の土地の各一部をそれぞれ補助参加人国から売渡を受けて開墾し、畑地および採草地として使用していることを知悉しながら、右土地についての買収および売渡処分に大字名の誤記という瑕疵があり、被控訴人らに所有権移転登記がなされていないことを奇貨として自らの私利をはかる目的で、旧二番の一の土地について同控訴人ら四名が亡百之助の相続人らから持分の売渡を受けてその旨の登記を経由することにより被控訴人らが右の土地について対抗要件を具備する手段を妨げるべく、亡百之助の相続人らの無知を利用し、これらの者から登記申請に必要な委任状、印鑑証明等の書類を騙取し(後日前記のように追認を受けたとしても)、相続人らからの持分売買を原因とする移転登記をして、被控訴人らの対抗要件の取得を妨げたものといわざるを得ないのであつて、その動機、手段からしていわゆる背信的悪意者に該当し、被控訴人らおよび補助参加人国の登記の欠缺を主張しうる正当な第三者ということはできず、補助参加人国および被控訴人らはその所有権を登記なくして同控訴人らに対抗し得るものと解すべきである。

五、以上の次第で、その余の主張について判断するまでもなく、補助参加人国は、百之助の相続人うの(その相続人控訴人はるの、同芳夫、同半治郎、同喜之助、同岩蔵、同佳子、同和子、同みつ子、同よね子)、控訴人軍寿、同はるの、同芳夫、同半治郎、同喜之助、同岩蔵、八十二(その相続人控訴人とみゑ、同佳子、同和子、同みつ子、同よね子)に対し、その相続を原因とする所有権移転登記の、控訴人伝治、同軍次郎、同教彦および久太郎(その相続人控訴人ハルヱ、同智子、同顕久、同智恵子、同久嗣)に対し、それぞれの持分移転登記(同軍次郎については仙台法務局昭和三一年一二月二八日受付第四二八九号および同法務局昭和三二年一月二五日受付第二一一号)の抹消登記手続を請求する権利を有し、被控訴人らは、それぞれ補助参加人国から売渡を受けた別紙第一ないし第三目録記載の土地について国から売渡にもとづく所有権移転登記を求める請求権を有することにより、右国の抹消登記請求権を代位行使し得る(国の抹消登記請求権が公法上の権利であるから被控訴人らにおいて代位行使し得ない旨の控訴人らの主張は採用しない)ものというべきであるから、被控訴人らの本訴請求は理由があるものとして認容すべきものであり、控訴人らの本件控訴は棄却さるべきである。なお、被控訴人らは、旧二番の一の土地が分筆されたことに伴ない当審において請求の趣旨を変更したので、それに伴ない原判決を変更する必要がある。よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第八九条、第九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 石井義彦 守屋克彦 田口祐三)

別紙第一、二、三目録<省略>

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